私の理解ではカリフォルニア・デザインとは、「大衆の為のデザイン」です。「『大衆』は大量生産大量消費の為に、テレビに作られた」という言葉があります。今回のカリフォルニア・デザイン展のポスターに「1930-1965」という時代設定が表記されています。この時代設定を眼にして、『大衆』という概念が頭をよぎったのは、この時代がおそらくはテレビの台頭と合致するからでしょう。
カリフォルニア・デザインの大雑把な背景は、戦地から兵隊が戻ってきたり、新しい産業が次々に興ったりしてカリフォルニアの人口が爆発的に増加。住宅・オフィスが足りなくなって建設ラッシュに。生活・就労人口が増えたのでモノも足りない。プラスティックが誕生して、今まで木工と金属が中心だった工業製品が手作業ではなくて工場で大量生産されるようになる。大量生産が出来るようになると、生産コストが下がる。生産コストが下がると価格も下がる。みんな(大衆)が多くを手に入れられるようになり、家庭や市場にモノが溢れ返る……といった感じでしょう。
移民の流入など他にも色々あるのでしょうけど、様々な要因があり、その結果として「大衆の為のデザイン=カリフォルニア・デザイン」というものが形成された、という理解の順序で大方、正しいと思います。
「大衆のためのデザイン」というと階級闘争的な、政治的・社会的なイメージかもしれませんが、そういう事ではなくて社会事情やテクノロジーの進化が背景にあって、結果としてこうなったという理解が正解だと思うのです。芸術「運動」とは明らかに違うのですね。
事実、この展覧会の展示物は一般的な商品であり、道具であったりします。デザインの背景にある時代の潮流やヒトの歴史を感じながら、あくまでPopであるデザインの数々には、芸術作品とは違った力がありました。例えて言うならば、美術館で本物の絵画に触れる感じではなく、博物館で巨大な化石を観る感じです。作品ではなく、歴史を観ているような印象を受けます。そんな風に「名作絵画を一気に集めた展覧会とは違う」と気付いた時、私にはいつも美術館で観る展覧会とは違ったものが見えてきました。
「デザインを通して歴史を知り、その上でこれからの社会と、デザイナーはどのようにコミットしていくのか?」
会場展示はほぼ時系列で作られていたと思います。ラストの展示物は『Endless Summer』のポスターでした。当然ながら、『Endless Summer』という言葉は「夏は終わる」と自覚したからこそ、生まれた言葉です。
カリフォルニア・デザインが提示してきた価値観、理想や幸福のイメージが終わる、そんな予感が現代にあるのかもしれません。最後の展示物である『Endless Summer』のポスター、そしてアメリカを代表とした「大量生産・大量消費の時代」のシンボルとも言えるカリフォルニア・デザイン展が開かれた事は、その予感の現れかと思うのです。終わるのは大衆ではなく、大量生産・大量消費時代であり、時代は次へとシフトするのでしょう。「幸せ」、「豊かさ」という概念も変わるかもしれません。
デザインはどこにでもあります。だからこそ、社会や歴史についても論理的な理解を深めて、抽象的な思考を獲得していく事が重要です。
平たく言えば「もっとデザインを学ばなくてはならないんだけど、学ぶと言っても美術館に通うだけではなく、目の前の日常にデザインがどうコミットしているのかを考え続ける事が大切なのではないか?」という事です。
「デザインを通して歴史を知り、その上でこれからの社会と、デザイナーはどのようにコミットしていくのか?」
提示される問題は抽象的ですが、デザイナーである私が返す答えは具体的でなければならず、私は具体的な答えを出せるように抽象的な、形の無いものについて、あまりにリアルな目の前の生活を見ながら考え続けなくてはならず……と自問自答の無限ループみたいな感じでより深く掘り下げていく事。なんだか目眩がしそうですが、カリフォルニア・デザイン展にその仕事を展示されていた先人たちはきっとそれをやっていたので、私も同様にやるしかないのですね。
今回の展覧会に合わせて出版された、ロサンゼルス・カウンティ美術館発行の『California Design, 1930-1965: Living in a Modern Way』日本語版(新建築社)。
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カリフォルニア・デザイン 1930-1965 -モダン・リヴィングの起源- California Design, 1930-1965: "Living in a Modern Way"
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