2012年5月23日水曜日

「d47MUSEUM」の『NIPPON DESIGN TRAVEL – 47都道府県のデザイン旅行』多様性が育む豊かさについて


渋谷ヒカリエ8階「8/(ハチ)」
オープンの混雑が落ち着いた頃、渋谷ヒカリエ8階「8/(ハチ)」にある
・「d47MUSEUM」
・「d47 design travel store」
・「d47食堂」
に行ってきました。

ここは「D&DEPARTMENT」の新プロジェクトです。以前よりナガオカケンメイさんの「D&DEPARTMENT PROJECT」の活動に関心があったので、今回の「d47」のオープンをとても楽しみにしていました。

「d47MUSEUM」ではオープニングエキシビションの『NIPPON DESIGN TRAVEL – 47都道府県のデザイン旅行』展を鑑賞しました。こちらは47の展示台があり「47都道府県の情報を知る事ができる」ギャラリーです。ここでは「観光・食事・お茶・買物・宿泊・人」という6つの視点によって選ばれたものが展示されていました。

「d47MUSEUM」『NIPPON DESIGN TRAVEL – 47都道府県のデザイン旅行』
ナガオカさんと「D&DEPARTMENT」のフィルターを通して選ばれたものは、伝統工芸的なものだけでなく、新しいプロジェクトや取り組みの紹介もあり、この取り合わせ自体が “手術台の上のミシンとこうもり傘の美しい出会い” 的な刺激であり、かと言ってそちら方向だけに偏ったものにはしない、絶妙なバランス感覚です。思わず手に取りたくなるようなものも多くありました。(※会場全体の写真撮影はOKでした。)

ナガオカさんは「d47」オープンにあたって、
・「東京に住んで、地方の仕事なんて絶対に出来る訳が無い」
・「今度は、東京が地方からクリエイションを学ぶ番」
と言われていて、その言葉がとても印象に残っています。

実際、ナガオカさんは日本中のあちこちに足を運んで、作り手やモノ、サービスに出会い、ご自分で確認されたものを選びとっていらっしゃいますが、こういう「確かさ」は、昨今の「やがて情報は無料になるが、体験にはお金を払う」というイメージに微妙に通じている印象、「腑に落ちる裏付け」のように私は感じました。(※誤解のないように、二つの言葉にまつわる全文は、ナガオカケンメイさんの4月29日のFacebookでご確認ください。)

「d47 design travel store」では、展示されていたものを実際に買うことができるショップが併設されています。そこにあるものを手に取って現地の風景に想いを馳せる……そんな豊かな想像体験が意外と楽しい。高価なもの・安くても良質な食材など各種ありましたが、暮らしを豊かにするのは、「持ち物の数や価格ではなく、こういう価値観に束ねられた多様性」かもしれません。「選択出来る」はそれ自体、「自由」だと思うのです。

「d47食堂」では、大阪の旬野菜のだし煮込み定食をいただきました。日本各地から集められた陶器・浄法寺の漆腕と、素材そのものを活かしたお料理の組み合わせ。「絶妙なマッチングって発見だな」と、「奇をてらった組み合わせだけが刺激ではないんだな」と、再確認してみたり。

「d47食堂」旬野菜のだし煮込み定食
「旬野菜のだし煮込み定食」1,500円。大阪文化のお出汁で
煮込んだ旬野菜と、牛すじの土手焼と泉州水なすの小鉢。

イギリスのビートルズやローリング・ストーンズの誕生に、ブルースというアメリカの古いブラック・ミュージックが大きく貢献しています。「何故、ブルース発祥のアメリカではなく、イギリスからこのような新しいムーブメントが発生したのか」とインタビュアーに尋ねられたシカゴ・ブルースの大御所、マディ・ウォーターズは「当時のアメリカの音楽シーンは、家に沢山食べ物があるのに裏庭で泣いている子供のようだった」と応えています。

「日本全国、その地に特有の豊かさがあるのだから、
“裏庭で泣いている子供” になってはいけない」

そんなことを、マディ・ウォーターズの言葉と共に各県の展示やショップを観ながら思いました。

地域のデザインを通して、もう一度日本を見つめ直す機会となる『NIPPON DESIGN TRAVEL – 47都道府県のデザイン旅行』展は、5月28日(月)まで開催されています。

●d47MUSEUM
●d47 design travel store
●d47食堂
●D&DEPARTMENT

2012年5月2日水曜日

『原弘と東京国立近代美術館 デザインワークを通して見えてくるもの』鑑賞。


原弘と東京国立近代美術館 デザインワークを通して見えてくるもの
東京国立近代美術館本館 ギャラリー4にて、「ジャクソン・ポロック展」と同時開催中の『原弘と東京国立近代美術館  デザインワークを通して見えてくるもの』を観てきました。

原弘さんは、グラフィックデザインの第一人者としてポスターや装幀等で、長年に渡り活躍されてきた方です。
国立近代美術館のポスター・招待状・展覧会のカタログ等は、1952年~1975年までの23年間担当されていました。

原さんは「デザインとは無名性の行為」を持論とし、「自分のポスターを作るのではなくて、国立近代美術館のポスターを作るのだ」という気持ちで、この仕事に取り組んでいたそうです。私もグラフィックデザインは、裏方の役割だと思っています。

原さんのデザインは、明晰で美しい。だからこそ、の存在感があるデザインが多いように感じました。

今回の展覧会は、同館で保管されている、ポスターや書籍に加え、版下や印刷の指定紙等、普段は観ることのできない貴重な展示もありました。完成したポスターと見比べてみると、指定紙と添えられた色見本から「どのように仕上がったのか」がわかり、とても興味深いです。

『原弘と東京国立近代美術館 デザインワークを通して見えてくるもの』は、5月6日(日)まで。

2012年5月1日火曜日

『生誕100年 ジャクソン・ポロック』展を鑑賞。


生誕100年 ジャクソン・ポロック
東京国立近代美術館本館で開催されている
『生誕100年 ジャクソン・ポロック』展を観てきました。
今回が、ポロックの日本初となる回顧展です。

ポロックといえば、抽象表現主義の代表的な画家で
流動性の塗料を画面に流し込むポーリング(pouring)の
技法を使用し、中心、地、図、の区別もない、
オールオーバー(allover)な構成で制作していました。

彼のポーリングは、
・ネイティブアメリカンの砂絵
・ダビッド・アルファロ・シケイロスの実験工房
・シュルレアリスムのオートマティスム(自動筆記)
という主に3つの要素で成立しています。

今回の展覧会は、彼の“生涯”と“作品”を感じることができる
滅多に観ることのできない充実の内容になっていました。
ポーリングの作品をはじめ、各国から集められた作品群、
展示の目玉である『インディアンレッドの地の壁画』は、
観客を圧倒します。

ポロックが美術を学び始めてから
44歳で亡くなるまで、その間わずか29年でした。
その上、アルコール依存症や精神分析の治療を受けていたり
描けない時期もあったりで、創作期間は長くはありません。

あらゆるプレッシャーや、アルコール依存症の再発等で
様々な手法を模索していた時期の作品を観ると、
そのすべてと凝縮された人生が伝わってくるようで
時に息苦しさを覚えるほどです。

重要な項目を年表にしてみました。
★「ジャクソン・ポロック」簡略年表
1912年  米国ワイオミング州コディ生まれる。
1927年  この頃飲酒を始める。
1928年  美術の基礎を学び始める。
1930年  NYに移り、
     「アート・スチューデンツ・リーグ」で学ぶ。
1933年  ディエゴ・リベラがNYで壁画制作する姿を観る。
1937年  精神科でアルコール依存症の治療を受け始める。
1942年~ ポーリングの技法を用い始める。
1944年  初の美術館(MoMA)からの買い上げ。
1954年~ ほとんど制作しなくなる(できなくなる)。
1955年  再び精神分析治療を始める。
1956年  8月11日、飲酒運転で交通事故死。享年44歳。

美術関連の年表に「この頃飲酒を始める」とあるのは、
彼の創作に、お酒の影響は切っても切れないものなの
だからでしょう。

ジャクソン・ポロックのアトリエ床再現ジャクソン・ポロックのアトリエ再現
展示会場には、ポロックのアトリエの一部が
再現されていました。
もちろん複製ですが、写真に撮るとちょっと本物っぽい!?
(※こちらは、撮影OKでした。)

ジャクソン・ポロックが使用していた塗料
そしてポロックが使用していた塗料。左から、
・デュポン社のデュコ(ラッカー)、
・デヴォー&レイノルズ社のエナメル塗料、
・ピッツバーグ社のエナメル塗料、
・ピッツバーグ社のアルミニウム塗料、
・デヴォー&レイノルズ社の塗料(種類不明)

『生誕100年 ジャクソン・ポロック展』は、
5月6日(日)まで開催されています。